ここからは、個人的な、お話です、
徳島の県南に住む知人の話です、、、、
以前は、法事の時には、坊さんが自宅に来てくれていたが、今では、こちらから、寺に出むかなければ、来てくれなくなった、と言っていました。
札所参りの観光客が金を落とすので、檀家を当てにしなくなった、と話していました。
仏様そこのけのお話です。
その知人は町内の、別のお寺に変わったそうです。
私の、実家近くの札所も、住職が変わってからは、同じ様な事を始めました。
その為、私の実家も、数年前に、その札所から別のお寺に変わりました。
僧侶と言いながら、中には妾を囲う、破戒坊主も居たそうです。
栄耀栄華が、堕落を生むのは、何処も同じようです、人間の性でしょうか?、そうなら、坊主とは何でしょう??。
僧侶とは、出家して、仏教の戒律を守る、修行者で有ったはずです。
お釈迦様
今では、戒律は有名無実化しています。
「戒壇石」の、「不許葷酒入山門」(くんしゅ、さんもんにいるを、ゆるさず)が、何か、空々しく聞こえます。
信者が、乏しい日々の糧の中から寄進した、豪奢な建物の中で、信者を睥睨しています。
檀家の法事に、寺に来いと言うのは正にこれです。
人を威圧するような、何処の寺の駐車場にも、大型高級乗用車が駐車するなど 豪奢な生活ぶりが伺えますね。
こう言う建物の中に、本当に、衆生を救う仏様が居るのかな、と思う気持ちも沸いてきますが、この中の、坊さんと言う人と、仏さまとは関係無いのだ、と気を取り直すようにしています。
中には、立派な僧侶も、居るのだろう、と思いますし、そう思いたいです。
坊さんが信じられ無くなったために、仏まで信じられ無くなるのでは、いけないと思っています。