先に高野山へ行ってきました!!

高野山、奥の院のビデオ

  1. 四国巡礼を終えると、殆の人が、高野山へお参りするようです。
  2. 特に決まりはないようですが、多くの人が、その様にしているようです。
  3. 15年も前ですが私と嫁さんは途中で思い立ち、先に高野山へ行きました、このときは夏だったので、奥の院へ向かう参道を歩いていると、蚊がまとわり付いて大変でした、近くで作業している人は、腰に蚊取り線香が入ったケースをぶら下げていました。

  4. 本年(令和5年)のお盆にも高野山へ行ってきました、右上は奥の院へ至るビデオで、一の橋です。
  5. ここから、奥の院、聖域の弘法大師廟の入口です。
  6. 御廟橋を渡ると、空海入定の地、とされる奥の院です。この先は撮影禁止になっています。
  7. 一の橋から、二の橋を経て、御廟橋まで、約、2キロにわたる参道沿いに、無数の石塔が立ち並んでいます。

四国霊場については、下か左の徳島、高知、愛媛、香川をクリックしてください。

昭和6年当時の、四国遍路道中図


  1. 下は、昭和6年当時、大阪で発行された、「遍路、道中図」と言う物です。
  2. 私の嫁さんの、祖母が持っていた物です。
  3. 九州は、豊後(ぶんごです)、日向(ひゅうがです)から南は八幡浜へ、九州北部は伊予の高浜へ、中国地方は今治へ、京、大阪は、撫養へ、(現、鳴門に)上陸し、巡礼すると良いと説明されています。
  4. 面白いのは、「旅費及び道程ノ事」、の説明に一日の費えは、「玄米3枡」、もあれば十分だ、と説明されています。玄米というのが面白いです。
  5. 1日8里(32キロ)歩き、遍路期間は、40日(よんじゅうにち)で回ったようです。
  6. 昭和6年と言えば、それ程、道も整備されていなかっただろうし、大変だっただろうな、と想像します。

お四国参りの始まりは
  1. お遍路の始まりとしては、伊予国の、衛門三郎、と言う人が前非を悔い、四国で修行していた弘法大師の後を追った、と言う話や、お弟子さんが大師の入定後、師の足跡を追ったのが始まりとされる等、諸説ありますが、はっきりした事は分からないそうです。

  2. 俗説ですが、江戸時代、治療法がなく、恐ろしい病と思われていた、ライを患った人に、家族や地域の者が、
    こうなったら、お四国さんを回り、お大師様に御すがりするしか無い
    と言って、巡礼に出したのだ、と言われている物も有ります。
  3. その結果、行き倒れになった人は、無縁仏として葬られたと言う事らしいです。
  4. 幾つかある、映画、砂の器の1つの、主人公の父、千代吉がそのように描かれています。
  5. 今ではハンセン病は原因も分かり、治療法も確立し、感染力も弱い病気である、と言う事がはっきりしていますが、かっては不治の病として恐れられていました。
  6. これが始まりだ、と言うお話には何か納得します。

ここからは、個人的な、お話です、

  • 徳島の県南に住む知人の話です、、、、

  • 以前は、法事の時には、坊さんが自宅に来てくれていたが、今では、こちらから、寺に出むかなければ、来てくれなくなった、と言っていました。
  • 札所参りの観光客が金を落とすので、檀家を当てにしなくなった、と話していました。
  • 仏様そこのけのお話です。
    その知人は町内の、別のお寺に変わったそうです。
  • 私の、実家近くの札所も、住職が変わってからは、同じ様な事を始めました。
  • その為、私の実家も、数年前に、その札所から別のお寺に変わりました。

  • 僧侶と言いながら、中には妾を囲う、破戒坊主も居たそうです。
  • 栄耀栄華が、堕落を生むのは、何処も同じようです、人間の性でしょうか?、そうなら、坊主とは何でしょう??。
    僧侶とは、出家して、仏教の戒律を守る、修行者で有ったはずです。

    お釈迦様
  • 今では、戒律は有名無実化しています。
  • 「戒壇石」の、「不許葷酒入山門」(くんしゅ、さんもんにいるを、ゆるさず)が、何か、空々しく聞こえます。
  • 信者が、乏しい日々の糧の中から寄進した、豪奢な建物の中で、信者を睥睨しています。
  • 檀家の法事に、寺に来いと言うのは正にこれです。
  • 人を威圧するような、何処の寺の駐車場にも、大型高級乗用車が駐車するなど 豪奢な生活ぶりが伺えますね。

  • こう言う建物の中に、本当に、衆生を救う仏様が居るのかな、と思う気持ちも沸いてきますが、この中の、坊さんと言う人と、仏さまとは関係無いのだ、と気を取り直すようにしています。
    中には、立派な僧侶も、居るのだろう、と思いますし、そう思いたいです。
  • 坊さんが信じられ無くなったために、仏まで信じられ無くなるのでは、いけないと思っています。
  • 世界遺産の登録について
    1. 「四国霊場」を、世界遺産に、と言う声がありますが、本当に必要な事でしょうか、何か釈然としません。
    2. 霊場巡りは、心の問題で、人間が考え出した、「世界遺産」などと言う物とは、何の関係もありませんし、甚だ不遜な事です。
    3. 世界遺産の、指定などは要するに、「村おこし」 の様な物で、経済的活性化が、目的のお話で、結果的に儲けるのは、お寺と、その関係者だけです。
      要するに罰当たりな、お話なのです。

      ❶幸せは、仏に祈りさえすれば、訪れる訳では有りません、日常不断の努力によって、得られる物だと思います。
      ❷只、仏に祈りさえすれば、幸せが訪れる、と説き、対価として、報謝を求めるのは、ただの詐欺です。
      ❸又、仏に祈りさえすれば、幸せが訪れる、と考えるのは、只の怠け者です。

    人騒がせで、人を不幸にする宗教も、現にあります
    1. 最近、統一教会という、朝鮮人が作った、金にまみれた、おぞましい宗教団体が話題になっています。
    2. 昭和50年代に、数百円から数千円ぐらいの安価な、壺や数珠、印鑑などを、何かと言いくるめ、人の弱い心理に付け入り、数百万と言う法外な値で売りつける、霊感商法などで話題になっていましたが、その後、聞かなくなっていたので、消滅したとばかり思っていました。

    3. 宗教と金の問題は、統一教会に限りません、多くの宗教が似たり寄ったりです。
    4. いろいろ詭弁を弄しても、早く言えば、金を持って来い、と言う一点に尽きるのです。
    5. 神や仏が、居るのかどうかは、私には分かりませんが、ただ居て欲しいと願っています。

    6. 私の嫁さんは、信心深く、2回、四国遍路に行きました、私も嫁さんに連れられ、付いて行きました。
    7. 左の マウスオン背景表示 のボタンにマウスを乗せてください。
      第四十五番、海岸山 岩屋寺の山門の写真が出ます。

    高野山へは、お盆にお参りに行っています。
    1. 平成29年6月に、嫁さんのたった1人の弟が、69歳と言う若さで亡くなりました。
    2. 真面目で優しい人でした、良い人間ほど早く亡くなってしまうのか、と思いました。
    3. 子供の頃に、両親が離別した為に、嫁さんが母親代わりになり、弟の面倒を見てきた、と私の膝に顔を乗せ、涙ながらに話した事が有りました。
    4. 私は、
      ”そんな、事は思い出さなくていい、他に、もっと、楽しい事もあっただろう、!!!”、
      と言いますと、嫁さんは涙顔ですが、気を取り直し、にっこりしました。
    5. 私は、嫁さんの、その時の顔を、忘れる事ができません。

    6. 毎年、命日に、子供と一緒に高野山へ行き、念仏を挙げて貰っています。読経される僧侶を見ていると、私でもそこらへんの、坊さんとは、随分違うな、と感じます。
    7. なぜか高野山は、清浄な、心が洗われるような気がします。 長い歴史と文化に培われた、このような伝統が、私でも仏さまを信じたい気持ちにさせるのだな、と思いました。

    8. 本年(令和5年)も奥の院でお経を上げて頂きました、年の若そうなお坊さんでしたが、橙色の衣の裾が少しほころびていました、清廉な生活をされているんだな、と感じました、新しいのを買って差し上げようかなとも思いました。
    9. ですが、多分、要らざるお節介になるだろう、とも思いました。

      合掌

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