私の寒蘭の栽培について
栽培の棚
- 私は、私の嫁さんの父親が寒蘭を栽培していたため、25歳の時から寒蘭の栽培を初めました、ですからもう50年にもなります。
- 一番多い時には、300鉢ほど作っていましたが、その後、転勤などで枯れたりしたため、しばらく栽培を止めておりましたが、平成10年に義父が亡くなったため、残された、寒蘭を引き継ぎ、再び栽培を始めました。
- ですが、経験不足で、豊雪、日光、紺竜、室戸錦など、多くを枯らしてしまいましたが、豊雪は高知の日曜市へ行けば、今では4〜5本立ちで、1万5千円ぐらいで売っていました、随分安くなったものです。
自生地について。
- 徳島県内では、阿南市から高知にかけてが自生地になっていました。
- 徳島県の阿南市では四国霊場の、第21番札所の太龍寺の周辺に、紅花で無点に咲く物が有って、一時期話題になりましたが、もう無くなったようです。
第21番札所の太龍寺、竜の岩屋
- 私が子供の時分まで、太龍寺には 「竜の岩屋」 と言う、鍾乳洞が有りましたが、鉱山会社が石灰石を採掘するため壊してしまい、現在ではもう無いそうです。
- いつか行きたいと思っていましたが、小学生であったため行く事が出来ませんでした、行った者に聞いたところ小さな鍾乳洞だったそうです。
- 残念だったと思っています。現在であれば反対運動も起こっただろうにと思います。
- 自然とか、自然保護などに対する認識が低かった時代だったのでしょう、子供の私にはどうする事も出来ませんでした。
徳島の寒蘭の主な自生地。
- 徳島県南部の海部郡は温暖なために、各地に寒蘭が自生していました。
- 日和佐町では、葉の両側に濃い緑色の縞模様が入り、真ん中が黄色くなる寒蘭が取れ、紺竜と命名された寒蘭が採取されましたが、噂を聞きつけ2〜3年で、土を掘り返してしまい、山は荒れて、絶滅したようです。
- 徳島県内では、海南町と宍喰町が一番多く自生していました、海南町では紅花や素心が採取されました、特に素心が採取された所は荒れてしまい、ここも絶滅したようです。
- 宍喰町では、中透け縞や、各種の色の花が採取されましたが、後から聞いたところによると、たまに採取に行く人がいるそうです、ランブームが下火になった今は、もしかすれば採取できるかもしれません。
最も有名なのが高知県宿毛市西谷です。
- 珍しい寒蘭と言う事であれば、何と言っても高知県、宿毛市西谷山が有名です、豊雪、日光がが採取されました。
- 私も、一度、嫁さんや、知り合いと、西谷山へ見に行きましたが、それはひどい物で、草も生えていない状況でした、多分、絶滅していると思います。
- 西谷入り口のお宅で見せてもらった、金鵄、武陵系の花と、刷毛込みが入った葉を見た時は、本当に驚きました。
寒蘭の愛好団体について
- 寒蘭会については、ブームの昭和47年頃から、徳島県には、愛好者団体として阿波寒蘭会、徳島寒蘭会、四国寒蘭会などと言う団体が数団体有りました。
現在では、どうなっているのか私には分かりませんが、多くが消滅しているようです。
- 寒ラン全盛期は、それはもう大変な投機植物になってしまい、数百万円もするような物が出てきました、こうなると、とても趣味なんて言える物ではありません。
良く似た物に、観音竹が有りましたが、こちらは一千万円なんてのも有りましたが、今では話題にもなりません!!!。
高知日曜市の寒ラン
- 私は、枯れたら、高知の日曜市、へ行って買ってくるという塩梅になっています。
- 日曜市の西はずれの、高知城の城門前に、寒ランの業者がずらっと並んでいます。
今では誰でもが買えるような値段になっています。
高知、日曜市
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