浦郡勝浦町・今山農村舞台公演
人形浄瑠璃・「伽蘿仙台萩」・「恵比寿舞」

    公演日時
    毎年10月に開催されます。
    (最近は開催されておりません)
    公演場所
    舞台の所在地:
    徳島県勝浦郡勝浦町大字沼江字山路
     今宮神社境内
    お問い合せ:勝浦町教育委員会 tel:0885-42-2515
    建 築 様 式
    木造平屋・切り妻造り、本瓦葺き
    舞 台 形 式
    仮設船底舞台形式

    今山農村舞台は、犬飼農村舞台などと同じ、通常は、床全体が平らな平舞台ですが、床板を外すと、わずか約10分で、遣い手が人形を操るスペースを備えた舞台に変わり、限られた空間を有効に利用できるよう工夫されています。
    こういう形式を「舟底舞台」と言います。
    建築年
    大正4年(1915年)
    大正4年に焼失した建物建て直し、昭和初期は、町内外から多くの人形座が出演し、その後、長らく農村舞台としては休眠状態だったそうです。
    その後
    全国的な民芸ブームと共に、人形浄瑠璃が上演できる舞台として復活させようと、地域、行政などが取り組みました。
    平成14年秋に復活公演を果たし、その後も年2回の人形浄瑠璃芝居の上演、村の氏神さんへの奉納余興の舞台として活動しています。

今山農村舞台の様子です。

  • 神社境内には、ミカンを使ったケーキ、コ−ヒー、うどんの売店がありました。

  • 下のサムネールの画像をクリックしてください、写真と説明がポップアップします。


演目の「恵比寿舞い」について

  1. お馴染みの大漁、五穀豊穣を願う人形浄瑠璃。
  2. 弁天さんにお酌をして貰いながら「さても目出度い、福は内」、の口上で終わる、恵比寿舞いです。

演目の「伽蘿先代萩」(めいぼく せんだいはぎ)について

  1. 万治・寛文年間、1660年から1671年にかけて仙台伊達家に起こった伊達騒動が題材です。

  2. 当時は江戸時代ですから、歌舞伎や浄瑠璃では舞台を、事件から300年ほど前の南北朝時代に移し、人名役名も全て変更しています。
  3. 奥州の足利家の執権(しっけん)仁木弾正(にっきだんじょう)や妹八汐(やしお)らが、足利家の乗っ取りを企む物語です。
  4. 今山農村舞台での公演は、乳母の政岡(まさおか)が自分の子供を犠牲にして、悪人から幼い主君の「鶴千代」を守る、通称「御殿」の場面です。
  5. 「伽蘿先代萩」の脚本は大きく「花水橋」「竹の間・御殿・床下」「対決・刃傷」の3部に分けられます。

  6. 小説などでは、お家乗っ取りをたくらむ、家老、原田甲斐と黒幕である伊達兵部らの策謀で、仙台伊達家の3代藩主・伊達綱宗は吉原の高尾太夫に魂を奪われ、廓での遊蕩にふけり、隠居させられる。
  7. 甲斐一味は綱宗の後を継いだ亀千代(4代藩主・伊達綱村)の毒殺を図るが、忠臣たちによって防がれると言う筋になっています。
  8. 最後は策謀を図った者どもは誅され、伊達家に平和が戻ると言うお話です。

  9. 多くは原田甲斐は悪人となっていますが、小説「籾の木は残った」は反対に忠臣となっていますが、史実上は幕府裁定の場で刃傷に及んだ原田甲斐の方が分が悪いと言うのが一般的名評価のようですが、資料が少なくハッキリしないと言う事の様です。
    伽羅(めいぼく)先代萩 とは、殿様が銘木の高価な”伽羅”(きゃらをめいぼく、と読ませます)で作った下駄を履き、郭に通ったため伽羅(めいぼく)先代萩と言うのだそうです。
    バカ殿だったようです!。

恵比寿舞い、仙台萩

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