快晴の富士山.
東京スカイツリー.
靖国.皇居.雷門
スカイツリーのビデオです
紀伊水道、大鳴門橋.
徳島空港を出発、
徳島、阿波踊り空港から、午前8時発の飛行機で、東京へ、行きました。
お天気は上々で快晴でした。
東京まで、殆ど揺れも無く、乗り物に弱い私も、快適な乗り心地でした。
私は、家族の中でただ一人、飛行機に乗った事が、有りませんでした。
人に話すと、それ、ほんとか?、と言われます、本当の話です、当然、海外旅行などした事もありません。
修学旅行の時、大阪を午後11時頃に蒸気機関の汽車で出発し、翌朝の7時頃だと思うが、汽車の中で目を覚ました時、窓一杯に、雲一つ無い快晴の富士山が見えたのをはっきりと覚えています。
今回も、幸運にも飛行機の窓から、快晴の、世界文化遺産の、富士山が、はっきり見えました。
冠雪の富士山と、南アルプス.
快晴の富士山、
途中、冠雪の、南アルプス連峰と”富士山”が、綺麗に見えました。
機内アナウンス、によると、これほど綺麗に見えるのは、珍しい事だそうです。
(ビデオを撮りました)
向かって、左側に座ると、富士山が、よく見えます。
下は飛行機から見た、富士山と南アルプスです。
富士山
富士山
富士山
東京スカイツリー
羽田から、バスで直接東京スカイツリーに行きました、40分ぐらいかかりました。
子供が、時間指定の予約をしてあったので、待ち間は有りませんでした。
翌日は、予約してあった東京観光タクシーにホテルまで来てもらい”靖国神社”、”明治神宮”と参拝し、皇居、浅草、両国国技館等を、回ってきました。
スカイツリーは、日時、時間指定で、予約をしていく方が良いでしょう。入場口も、当日入場口と、予約入場口に分かれ、予約入場口の方が優先されます。
予約した時間が来れば、ゲート前から係の人が来て案内してくれます。
私らは、土曜日に行きましたから、WEBで日時、時間指定で予約をしていきました。
スカイツリーの構造
場 所
東京スカイツリーは、2012年5月に東京都墨田区に電波塔・観光施設として開業。
高さ634メートルで、4階からフロア350まで、一気にエレベータで上がります、100メートル上のフロア445の展望回廊へは、そこからエレベータで上がります、直接行くことは出来ません。エレベータはかなり速く、あっという間に着きます。
フロア340〜フロア350を展望デッキと言い、各フロアは、エスカレータとエレベータを使い、乗り換えて行きます。
フロア350からは、眼下に国技館、浅草の浅草寺が見え、上野公園、東京ドーム、皇居、東京タワーが遠望できます。
ビデオをご覧下さい。
入場料は、フロア350までは、成人1人、2千円で、フロア455は、フロア350から上がりますが、別料金が必要です。
スカイツリーのビデオです
土曜日だったので、相当な混雑でしたが、インターネットのWEB予約で、午後1時を予約してあったので、直ぐ入場できました。
右のサムネール画像をクリックすれば、スカイツリー内と、フロア350から見た周囲の風景を撮影したビデオが出ます。
下は”スカイツリー”の写真です。
スカイツリー、
4階フロアー
4階フロアー
エントランス
エレベータで
上に行きます
エレベータの中
フロア350に着きました
両国国技館
上野公園
東京ドーム
佃島方向
スカイツリーの影
展望回廊
展望回廊
cafe
展望回廊
フロア450のエレベータ
下へ降りる
エスカレータ
フロア345
へ降りる
エスカレータ
フロア345
の回廊
浅草、雷門へ行きました
スカイツリー見学の後、止まっていたタクシーで浅草、雷門へ行きました。
東京スカイツリーからは意外と近く、10分もかかりませんでした。
土曜日であった為かどうか判りませんが、なんと人の多い事。
仲見世通りも有名な観光場所ですが、はっきり言って、売っている物は徳島とそれほど変わりませんでした。
雷門
雷門
仲見世
浅草寺境内
浅草寺境内
浅草寺
浅草寺
浅草寺
初日はこれにておしまい、銀座に予約してあったホテルへ行った。
ホテルに着いてから、時間があったので、銀座の三越へ歩いていった。
子供は、エルメスと言うブランドのカバンを、一生懸命見ていた、幾らするんだ?、と値段を見たら、これが鞄の値段か!、風呂敷で代用できるのに、なんと法外な値段だ、とビックリした。
その後、ブラブラと歩いて帰って行くと、何だか人だかり、見るとフェラーリ、と言う車だそうだが、電しょくで飾り立て、何か乗りにくそうなのが、20台ぐらい路上駐車していた。
これも、幾らぐらいするんだ?と子供に聞くと、1千万だとか、2千万だとか言っていた、それって車の値段か?、と思いました。
それより、不思議なのは、車の回りでウロウロしているのが、車の持ち主らしいのだが、風体からして、そのような物が買えるような、社会的ステイタスが、有るような人間には、どうしても見えない、そんな人は土曜の晩なんかに、銀座なんかをウロウロしていないだろう、何か胡散くさそうな奴らだった。
こいつ等は、どんな人間なんだ?、と聞くと、多分、振り込みか、ホストクラブの人じゃない?、と言う返事、成る程そうか、と納得した。
そう言えば、少し前に、そばを 通っていた人が、そんなので銀座を汚すなよ!、とつぶやきながら通っていたが、後になってその意味がわかりました。
分不相応な物を持って喜んでいるアホは、何処にでも居るんだな、と思いました。
朝の銀座、皇居付近、国会、靖国神社、明治神宮、
朝起きて、田舎者だから、道に迷うと、いけないので携帯を持って、毎朝の習慣で、散歩に出かけた。
銀座でも、日曜日の早朝なのか、それほど人通りはなかったが、途中で気の毒な、光景に出会った。
散歩から帰って、食堂でみんなと朝の食事をしていたとき、近くに、5、6人の男女が居た。
その中の、頭の茶色い女が、元彼が、どうのこうの、と、大きな声で喋っていた、自分の、前の男の事を、話していたようだが、 それって朝飯の時に話題にする事か!、尻軽女の、阿呆め、と思いました。見るからに、軽薄そうな女だった。
朝早くから、不快な話を聞いてしまったが、気分一新、子供が予約してあった、観光タクシーが、迎えに来たので、おのぼりさん、よろしく、修学旅行以来の東京観光に出かけました。
運転手さんから、いろいろ話を聞きながら、案内して貰った、大変、感じのいい人だった。
タクシー代は、最後に羽田まで送ってもらって、2万円弱だった。
タクシーは、東京観光タクシーという会社でした。
夜明け、AM6:00
警視庁
皇居.二重橋
皇居外苑の
大楠公像
二重橋
国会議事堂
自民党頑張れ
靖国神社
開花宣言の
目安になる
桜の木
大村益次郎の像
拝礼
遊就館
遊就館の
出入口
遊就館の
展示戦闘機
大相撲の
両国国技館
日本橋・明治神宮
日本橋、国技館などと、色々案内をして貰い、最後に、明治神宮へ行った。
実は、私は明治神宮が、明治天皇を祭った神社だ、と言うのは、今日、ここに来るまで知らなかった。
東京のど真ん中に、こんな広いところが、よくも有ったもんだなと、それに驚いた。
ちょうど、結婚式をしたのだろう、花嫁さんと、新郎が出てきた、
ガードマンが、道路の真ん中を歩いている参拝者、多くは観光客、を、そこのけ、そこのけと、道路の端へ追いやっていた、(ように見えた?)。
参拝者や、観光客の、お賽銭などは、余り多くを期待できないのだろう、それに比べて結婚式は大きな神社の収入なんだろう、端へ寄れ、と言われても仕方がないか!。
社務所入り口に、何か書いてあったので見に行ったら、今日の挙式予定者だった、全部で12組だった、挙式代は幾らなんだろう、と、げ世話な事を考えた。
五秒に1組が、離婚しているそうだが?、このカップルはどうだろうな?、と、かみさんに言ったら、そんな事を、よけいなお世話、と言うんです、との返事だった。
日本橋、東海道線の起点
明治天皇の
肖像画
明治神宮参道
明治神宮
明治神宮本殿前
明治神宮
神前結婚式
ページ編集後記
東京は、修学旅行以来です、今回は、銀座のホテルに泊まり、翌朝は、いつものように、朝の散歩に出かけた。
途中、私と同じ位の年で、ビニール袋を提げた、小父さんに出合った、道路端に置いてあるゴミ箱を、開けて見ていた、多分、テレビで見た事のあるホームレスの人だろう?。
経済大国日本、などと大見得を切っても、こう言う、光景を見ると、もの悲しくなる。
田舎で、薄給のブルーカラーの下級吏員だった私だが、リタイアした今でも、とても豊かとは言えないが、何とか生活していける、あの人の人生はどうだったのだろう?、何か不幸なことが重なったのだろうか?等々と、考えていたら、散歩する気も無くなったので、早々に帰った。
子供に連れてきて貰っているとは言え、遙か徳島くんだりから、ノンビリとスカイツリー見物など!、何か、間違った事をしているような気になってしまった!。
だが、現金な物で、それもホテルに帰り、朝食をすました頃にはすっかり忘れていた。
次に思い出したのが、帰宅後、本ページ作成のために、写真を整理していた時だ、あの人は今でも元気でやっているのだろうか?、と気になった。
銀座の朝焼け
銀座に銭湯?
ビルの谷間
雑誌の会社
首都高速
小父さん
ごみを見ていた
小父さん
靖国神社と私の個人的見解
自虐的趣味の有る人を除いて、心ある日本人は、靖国神社に参拝し、日本の為に戦い、志半ばにして、散華した先人の英霊に、感謝し、その魂の安からん事を祈りましょう。
野球やサッカー、果てはテニスなどに、うつつを抜かし、平和ぼけ大国を満喫できるのも、こうした先人のお陰なのです。
世界の、最貧国の子供たちの様子が、時々放送されています、
その時、子供たちは、将来の自分の夢を聞かれ、男の子は、医者や学校の先生になって、みんなの役に立ちたい、
女の子は、看護婦さんになって、困っている人を助けたい、と目を輝かして、語っているではありませんか!
これに対し日本ではどうでしょうか、
将来の夢を聞かれ、野球だ、サッカーだ、テニスの選手になりたい、等と情けない事を言っている。そんな物は暇つぶしや、遊びでやる事です。
最貧国の子供たちに比べ、野球や、サッカー、テニスの選手などが、自分一生の夢だ、等とはなんと情けない、心の貧困でしょう、、。そんな事は社会には、何の役にも立たないのです。社会が不安定になれば、そんな物は一番先に無くなるのです、こう言う物をあおっているのは、無責任なテレビと新聞だけです。
子供は、一生懸命、学校、塾で勉強し、ノーベル財団に、
21世紀は、発光ダイオードが、照らす
と言わせた、中村修司氏のような人を、育成する事こそ最重要です。
ところが、このような歴史に残る、偉大な大発明の対価が、運動選手の報酬と比べてなんと少ない事でしょう、どこかが狂っている!、としか言いようが有りません。
スポーツは暇な時にやる娯楽であって、体を鍛えること以外に特に意味はありません。
小、中学校には運動会が有り、地域には町民運動会があります。
オリンピックも、国体も、私は不要だと思います、そんな事より、もっともっと、しなければいけない事が沢山あります。
私は、小学生の時から40歳まで柔道をしていました、野球やサッカー、ゴルフなどには全く興味が有りません。
何回かした事は有りましたが、こんな物の何が面白いんだ、と思いました。
インタービューに答えている運動選手の、舌足らずの言葉遣い、聞いていて恥ずかしい、と思った事は有りませんか、日本語くらいきちんと喋れ、と言いたいですね。
あるスケート選手で在籍していた大学から、”学校に通ってくれ”と、注意されたらしい、それに対しその母親が、私の子供は、学校になんか行かなくても良いんです!!と答えたそうです。
本当かと思った、事実なら、なんといびつな日本の社会だろう!、勉強しなくても良い大学が有るんです、そんな大学など不要です。
靖国神社と戦争と原爆投下
広島、長崎の原爆投下について、アメリカでは、戦争を早く終わらせる為、ひいては日本人の命を助ける為に投下したのだと言っています。
米国内では、いまだに教科書にはそのように書いてあり、教師もそのように教えている。
広島、長崎の原子爆弾投下の意味を否定する意見などは、米国内では、少数意見としても無いのです。
ある防衛庁長官が、米国が原爆投下によって、日本人の命を助けたと言う詭弁について、
向こうがそう言っているなら、それはそれで、仕方がない
と言う発言をしました、ところがこの発言を批判する論調がありました、批判されるところなど何所にもありません。
全くその通りで、
戦争に勝った方が、そう言っているのだから
、それはそれで仕方がないのです。
戦争は形を変えた政治の継続であり、平和は形を変えた戦争の継続だ、と言う事を、今の支那やロシアの対応を見ておれば良く判ります。
国際社会は国益が衝突する現実の闘争社会です、防衛し、攻撃する手段が無い、などと言うバカな事が有ってはならないのです。
但し、孫子の兵法に有るとおり、”戦わずして勝つ”事が最上の策である事は言うまでもない事ですが、それも”戦力”が有っての話です。戦力が無ければ、戦わずして常に負けるのです。
究極の目的は勝つ事です、大東亜戦争が我々に残した歴史の教訓は ”戦争に負けた” 事に対する反省です、 負けなければ、東条英機さん、広田弘毅さん、も戦争裁判など、と言う茶番で虐殺される事も無かったのです。
大東亜戦争当時、日本も核武装して居れば、広島、長崎の原爆は無かったのです、これは事実です、歴史の教訓でもあるのです。私の意見を曲解したり、批判したりしてはいけません、それは歴史の教訓を歪曲するだけです。
原爆記念と称する式典での、陳腐な挨拶、詭弁にはあきれる。
原爆を投下したのは日本では無い、アメリカなのだ。
世界中では、未だに戦争をしている事を知らないのか、と思います、また大東亜戦争のように、戦争の結果は、正義が勝利する、と言う保証は有りません、勝利を保証するのは武力だけです、他には有りません。
私は戦争を賛美しているのでは有りません、多くの犠牲者を出す戦争を賛美する者などは、よほど頭がおかしい者でなければ居ないと思います。
ですが、戦争の危険は常にあります、その時にどうするか、と言うお話なのです。大東亜戦争はアメリカから仕掛けられた政治戦争だったのです、日本にだけ責任が有るのではないのです。
東京裁判、横浜裁判、その他のBC級裁判は、全て、法と正義に基づかない、或いは事後法の卑劣極まる人道犯罪だったのです、広島長崎の日には米国に抗議し、謝罪を求める日にしなければならないのです。
自虐趣味を持つ者以外の方に、訴えたいと思います。
陳腐な戦争責任論
歴史上、戦勝国が戦争責任など取ったことは無いのです、戦争責任と言う物は、そもそも戦争の結果で決まる事なのです、これは太古の昔から現代に到るまで、何ら変わる事のない歴史上の事実なのです。
日本は、戦争に負けたから、力関係によって侵略戦争だ、と決めつけられただけなのです。
大東亜共栄圏構想も、欧米列強に侵略、支配されている東亜を開放し、その中で経済力のある日本がリーダーシップを取って、共に栄えていこうと言う考えですから、基本的に何ら間違ってはおりません。
現在の侵略国家は、中国です、漢民族が少数民族を虐げ、その犠牲の上に成り立っているのです、栄華を誇っているのは、臨海州の漢民族で共産党の革命貴族だけです
内陸部の貧困な地域では、未だに地面に穴を掘り住んでいるのです、かって某大臣が中国では”穴を掘って住んでいる”と、発言したら、”ヤオトン”と言う、”立派な建築物だ”等と反論していました。
そんな事は無い、不断に続いてきた戦争による混乱、都市の建設に使う木材の伐採、煉瓦製造用の燃料の樹木の乱伐などで、土地の荒廃が進んだ結果、やむなくそのような住居の形態が出来ただけで、喜んで住んでいるわけはない、内陸部と臨海部の単なる富の偏在の象徴だ、そんな事で”能力に応じて働き、必要に応じて与えられる”共産主義といえるのか!。
抑圧されている少数民族も、漢民族からの独立を求め、現に各地で独立闘争がおこしています、その方法が破壊活動だとしても、それ以外に方法が無いのだから、一概に非難はできないのです。
搾取する者と、搾取される者との関係は、共産党はよく知っているはずです、暴力によって相手を打ち倒す関係です。
陳腐な憲法第9条、非現実的な戦争放棄
かって毛沢東は、核で9割が死んでも、中国は1億人が生き残ると言っていました(毛沢東語録だったか?)、狂っているのか!と思いました。
人の命を軽視する最たる妄言です、政治的な理由だろうが、こんな奴の肖像を掲げて未だに有難がっている。
”戦争放棄”などと言う非現実的な事は、相手国が割安に戦い、コストのかからない、お手軽な勝利を手にするだけなのです。
パキスタンの首相だか、大統領だかが、”核実験後”の会見で、
日本も核を持っておれば、広島、長崎は無かった!
と発言しました、何故だか?批判があり、後で取り消したそうですが、端的に的を射ています!、歴史の教訓を生かしています。
核に関してだけ言えば、ウクライナも核を放棄していなければ、こんなに簡単にロシアに攻撃される事は無かったのです、アメリカの核使用についても、我が国としては、持って他山の石、とすべきなのです。
但し、プーチン大統領が一方的に悪いか?、と言えば、必ずしもそうは言えません、遠因はヤヌコビッチ大統領を追い出した「マイダン革命」にあるのです、 アメリカCIAの後押しで起きた、この革命、実際はクーデターですが、プーチン大統領はこのクーデターに脅威を感じた、と言われています。必ずしもゼレンスキー善人、プーチン悪人とも言えないのです。
アメリカがが絡んでいる、と言う事で言えば、アメリカが中国国民党を支援していたと言う、かっての志那事変とそっくりです。
志那事変に続き、アメリカの策略によって、大東亜戦争に日本が引き込まれたと言う構図です。
歴史をよく見れば、戦争とは形を変えた政治の継続であり、平和とは形を変えた戦争の継続だ、と言う事が良く分かります。
勝って兜の尾を占める、と言うのが有ります、負けたのなら尚更です。
将軍さんが、飢える国民を、ほったらかして、核武装に血道を上げるのは、自分を守るためだけですから、私が言う核武装とは、意味合いは全く違います。
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