紀伊水道、大鳴門橋. 徳島空港を出発、

  1. 徳島、阿波踊り空港から、午前8時発の飛行機で、東京へ、行きました。
  2. お天気は上々で快晴でした。
  3. 東京まで、殆ど揺れも無く、乗り物に弱い私も、快適な乗り心地でした。
  4. 私は、家族の中でただ一人、飛行機に乗った事が、有りませんでした。
  5. 人に話すと、それ、ほんとか?、と言われます、本当の話です、当然、海外旅行などした事もありません。
  6. 修学旅行の時、大阪を午後11時頃に蒸気機関の汽車で出発し、翌朝の7時頃だと思うが、汽車の中で目を覚ました時、窓一杯に、雲一つ無い快晴の富士山が見えたのをはっきりと覚えています。
  7. 今回も、幸運にも飛行機の窓から、快晴の、世界文化遺産の、富士山が、はっきり見えました。

冠雪の富士山と、南アルプス. 快晴の富士山、

  1. 途中、冠雪の、南アルプス連峰と”富士山”が、綺麗に見えました。
  2. 機内アナウンス、によると、これほど綺麗に見えるのは、珍しい事だそうです。
  3. (ビデオを撮りました)
  4. 向かって、左側に座ると、富士山が、よく見えます。

下は飛行機から見た、富士山と南アルプスです。

東京スカイツリー

  1. 羽田から、バスで直接東京スカイツリーに行きました、40分ぐらいかかりました。
    子供が、時間指定の予約をしてあったので、待ち間は有りませんでした。
  2. 翌日は、予約してあった東京観光タクシーにホテルまで来てもらい”靖国神社”、”明治神宮”と参拝し、皇居、浅草、両国国技館等を、回ってきました。

  3. スカイツリーは、日時、時間指定で、予約をしていく方が良いでしょう。入場口も、当日入場口と、予約入場口に分かれ、予約入場口の方が優先されます。

  4. 予約した時間が来れば、ゲート前から係の人が来て案内してくれます。
  5. 私らは、土曜日に行きましたから、WEBで日時、時間指定で予約をしていきました。

スカイツリーの構造

  1. 場 所
  2. 東京スカイツリーは、2012年5月に東京都墨田区に電波塔・観光施設として開業。
  3. 高さ634メートルで、4階からフロア350まで、一気にエレベータで上がります、100メートル上のフロア445の展望回廊へは、そこからエレベータで上がります、直接行くことは出来ません。エレベータはかなり速く、あっという間に着きます。

  4. フロア340〜フロア350を展望デッキと言い、各フロアは、エスカレータとエレベータを使い、乗り換えて行きます。

  5. フロア350からは、眼下に国技館、浅草の浅草寺が見え、上野公園、東京ドーム、皇居、東京タワーが遠望できます。
  6. ビデオをご覧下さい。
  7. 入場料は、フロア350までは、成人1人、2千円で、フロア455は、フロア350から上がりますが、別料金が必要です。


スカイツリーのビデオです

  1. 土曜日だったので、相当な混雑でしたが、インターネットのWEB予約で、午後1時を予約してあったので、直ぐ入場できました。

  2. 右のサムネール画像をクリックすれば、スカイツリー内と、フロア350から見た周囲の風景を撮影したビデオが出ます。

    下は”スカイツリー”の写真です。

浅草、雷門へ行きました

  1. スカイツリー見学の後、止まっていたタクシーで浅草、雷門へ行きました。
  2. 東京スカイツリーからは意外と近く、10分もかかりませんでした。
  3. 土曜日であった為かどうか判りませんが、なんと人の多い事。
  4. 仲見世通りも有名な観光場所ですが、はっきり言って、売っている物は徳島とそれほど変わりませんでした。

初日はこれにておしまい、銀座に予約してあったホテルへ行った。

  1. ホテルに着いてから、時間があったので、銀座の三越へ歩いていった。
  2. 子供は、エルメスと言うブランドのカバンを、一生懸命見ていた、幾らするんだ?、と値段を見たら、これが鞄の値段か!、風呂敷で代用できるのに、なんと法外な値段だ、とビックリした。

  3. その後、ブラブラと歩いて帰って行くと、何だか人だかり、見るとフェラーリ、と言う車だそうだが、電しょくで飾り立て、何か乗りにくそうなのが、20台ぐらい路上駐車していた。
  4. これも、幾らぐらいするんだ?と子供に聞くと、1千万だとか、2千万だとか言っていた、それって車の値段か?、と思いました。
  5. それより、不思議なのは、車の回りでウロウロしているのが、車の持ち主らしいのだが、風体からして、そのような物が買えるような、社会的ステイタスが、有るような人間には、どうしても見えない、そんな人は土曜の晩なんかに、銀座なんかをウロウロしていないだろう、何か胡散くさそうな奴らだった。

  6. こいつ等は、どんな人間なんだ?、と聞くと、多分、振り込みか、ホストクラブの人じゃない?、と言う返事、成る程そうか、と納得した。
  7. そう言えば、少し前に、そばを 通っていた人が、そんなので銀座を汚すなよ!、とつぶやきながら通っていたが、後になってその意味がわかりました。
  8. 分不相応な物を持って喜んでいるアホは、何処にでも居るんだな、と思いました。

朝の銀座、皇居付近、国会、靖国神社、明治神宮、

  1. 朝起きて、田舎者だから、道に迷うと、いけないので携帯を持って、毎朝の習慣で、散歩に出かけた。
  2. 銀座でも、日曜日の早朝なのか、それほど人通りはなかったが、途中で気の毒な、光景に出会った。

  3. 散歩から帰って、食堂でみんなと朝の食事をしていたとき、近くに、5、6人の男女が居た。
  4. その中の、頭の茶色い女が、元彼が、どうのこうの、と、大きな声で喋っていた、自分の、前の男の事を、話していたようだが、 それって朝飯の時に話題にする事か!、尻軽女の、阿呆め、と思いました。見るからに、軽薄そうな女だった。

  5. 朝早くから、不快な話を聞いてしまったが、気分一新、子供が予約してあった、観光タクシーが、迎えに来たので、おのぼりさん、よろしく、修学旅行以来の東京観光に出かけました。

  6. 運転手さんから、いろいろ話を聞きながら、案内して貰った、大変、感じのいい人だった。
  7. タクシー代は、最後に羽田まで送ってもらって、2万円弱だった。
    タクシーは、東京観光タクシーという会社でした。

日本橋・明治神宮

  1. 日本橋、国技館などと、色々案内をして貰い、最後に、明治神宮へ行った。
  2. 実は、私は明治神宮が、明治天皇を祭った神社だ、と言うのは、今日、ここに来るまで知らなかった。
  3. 東京のど真ん中に、こんな広いところが、よくも有ったもんだなと、それに驚いた。

  4. ちょうど、結婚式をしたのだろう、花嫁さんと、新郎が出てきた、
  5. ガードマンが、道路の真ん中を歩いている参拝者、多くは観光客、を、そこのけ、そこのけと、道路の端へ追いやっていた、(ように見えた?)。

  6. 参拝者や、観光客の、お賽銭などは、余り多くを期待できないのだろう、それに比べて結婚式は大きな神社の収入なんだろう、端へ寄れ、と言われても仕方がないか!。
  7. 社務所入り口に、何か書いてあったので見に行ったら、今日の挙式予定者だった、全部で12組だった、挙式代は幾らなんだろう、と、げ世話な事を考えた。

  8. 五秒に1組が、離婚しているそうだが?、このカップルはどうだろうな?、と、かみさんに言ったら、そんな事を、よけいなお世話、と言うんです、との返事だった。

ページ編集後記


  1. 東京は、修学旅行以来です、今回は、銀座のホテルに泊まり、翌朝は、いつものように、朝の散歩に出かけた。

  2. 途中、私と同じ位の年で、ビニール袋を提げた、小父さんに出合った、道路端に置いてあるゴミ箱を、開けて見ていた、多分、テレビで見た事のあるホームレスの人だろう?。
  3. 経済大国日本、などと大見得を切っても、こう言う、光景を見ると、もの悲しくなる。
  4. 田舎で、薄給のブルーカラーの下級吏員だった私だが、リタイアした今でも、とても豊かとは言えないが、何とか生活していける、あの人の人生はどうだったのだろう?、何か不幸なことが重なったのだろうか?等々と、考えていたら、散歩する気も無くなったので、早々に帰った。

  5. 子供に連れてきて貰っているとは言え、遙か徳島くんだりから、ノンビリとスカイツリー見物など!、何か、間違った事をしているような気になってしまった!。

  6. だが、現金な物で、それもホテルに帰り、朝食をすました頃にはすっかり忘れていた。
  7. 次に思い出したのが、帰宅後、本ページ作成のために、写真を整理していた時だ、あの人は今でも元気でやっているのだろうか?、と気になった。

靖国神社と私の個人的見解

  1. 自虐的趣味の有る人を除いて、心ある日本人は、靖国神社に参拝し、日本の為に戦い、志半ばにして、散華した先人の英霊に、感謝し、その魂の安からん事を祈りましょう。

  2. 野球やサッカー、果てはテニスなどに、うつつを抜かし、平和ぼけ大国を満喫できるのも、こうした先人のお陰なのです。

  3. 世界の、最貧国の子供たちの様子が、時々放送されています、
    その時、子供たちは、将来の自分の夢を聞かれ、男の子は、医者や学校の先生になって、みんなの役に立ちたい、
    女の子は、看護婦さんになって、困っている人を助けたい、と目を輝かして、語っているではありませんか!

  4. これに対し日本ではどうでしょうか、
    将来の夢を聞かれ、野球だ、サッカーだ、テニスの選手になりたい、等と情けない事を言っている。そんな物は暇つぶしや、遊びでやる事です。
  5. 最貧国の子供たちに比べ、野球や、サッカー、テニスの選手などが、自分一生の夢だ、等とはなんと情けない、心の貧困でしょう、、。そんな事は社会には、何の役にも立たないのです。社会が不安定になれば、そんな物は一番先に無くなるのです、こう言う物をあおっているのは、無責任なテレビと新聞だけです。

  6. 子供は、一生懸命、学校、塾で勉強し、ノーベル財団に、
    21世紀は、発光ダイオードが、照らす
    と言わせた、中村修司氏のような人を、育成する事こそ最重要です。

  7. ところが、このような歴史に残る、偉大な大発明の対価が、運動選手の報酬と比べてなんと少ない事でしょう、どこかが狂っている!、としか言いようが有りません。

  8. スポーツは暇な時にやる娯楽であって、体を鍛えること以外に特に意味はありません。
  9. 小、中学校には運動会が有り、地域には町民運動会があります。
  10. オリンピックも、国体も、私は不要だと思います、そんな事より、もっともっと、しなければいけない事が沢山あります。
  11. 私は、小学生の時から40歳まで柔道をしていました、野球やサッカー、ゴルフなどには全く興味が有りません。
  12. 何回かした事は有りましたが、こんな物の何が面白いんだ、と思いました。
  13. インタービューに答えている運動選手の、舌足らずの言葉遣い、聞いていて恥ずかしい、と思った事は有りませんか、日本語くらいきちんと喋れ、と言いたいですね。
  14. あるスケート選手で在籍していた大学から、”学校に通ってくれ”と、注意されたらしい、それに対しその母親が、私の子供は、学校になんか行かなくても良いんです!!と答えたそうです。
    本当かと思った、事実なら、なんといびつな日本の社会だろう!、勉強しなくても良い大学が有るんです、そんな大学など不要です。

靖国神社と戦争と原爆投下

  1. 広島、長崎の原爆投下について、アメリカでは、戦争を早く終わらせる為、ひいては日本人の命を助ける為に投下したのだと言っています。
  2. 米国内では、いまだに教科書にはそのように書いてあり、教師もそのように教えている。
  3. 広島、長崎の原子爆弾投下の意味を否定する意見などは、米国内では、少数意見としても無いのです。
  4. ある防衛庁長官が、米国が原爆投下によって、日本人の命を助けたと言う詭弁について、
    向こうがそう言っているなら、それはそれで、仕方がない
    と言う発言をしました、ところがこの発言を批判する論調がありました、批判されるところなど何所にもありません。
  5. 全くその通りで、戦争に勝った方が、そう言っているのだから、それはそれで仕方がないのです。
  6. 戦争は形を変えた政治の継続であり、平和は形を変えた戦争の継続だ、と言う事を、今の支那やロシアの対応を見ておれば良く判ります。

  7. 国際社会は国益が衝突する現実の闘争社会です、防衛し、攻撃する手段が無い、などと言うバカな事が有ってはならないのです。
  8. 但し、孫子の兵法に有るとおり、”戦わずして勝つ”事が最上の策である事は言うまでもない事ですが、それも”戦力”が有っての話です。戦力が無ければ、戦わずして常に負けるのです。
  9. 究極の目的は勝つ事です、大東亜戦争が我々に残した歴史の教訓は ”戦争に負けた” 事に対する反省です、 負けなければ、東条英機さん、広田弘毅さん、も戦争裁判など、と言う茶番で虐殺される事も無かったのです。

  10. 大東亜戦争当時、日本も核武装して居れば、広島、長崎の原爆は無かったのです、これは事実です、歴史の教訓でもあるのです。私の意見を曲解したり、批判したりしてはいけません、それは歴史の教訓を歪曲するだけです。
  11. 原爆記念と称する式典での、陳腐な挨拶、詭弁にはあきれる。
  12. 原爆を投下したのは日本では無い、アメリカなのだ。
  13. 世界中では、未だに戦争をしている事を知らないのか、と思います、また大東亜戦争のように、戦争の結果は、正義が勝利する、と言う保証は有りません、勝利を保証するのは武力だけです、他には有りません。

  14. 私は戦争を賛美しているのでは有りません、多くの犠牲者を出す戦争を賛美する者などは、よほど頭がおかしい者でなければ居ないと思います。
  15. ですが、戦争の危険は常にあります、その時にどうするか、と言うお話なのです。大東亜戦争はアメリカから仕掛けられた政治戦争だったのです、日本にだけ責任が有るのではないのです。
  16. 東京裁判、横浜裁判、その他のBC級裁判は、全て、法と正義に基づかない、或いは事後法の卑劣極まる人道犯罪だったのです、広島長崎の日には米国に抗議し、謝罪を求める日にしなければならないのです。
  17. 自虐趣味を持つ者以外の方に、訴えたいと思います。

    陳腐な戦争責任論

  1. 歴史上、戦勝国が戦争責任など取ったことは無いのです、戦争責任と言う物は、そもそも戦争の結果で決まる事なのです、これは太古の昔から現代に到るまで、何ら変わる事のない歴史上の事実なのです。
    日本は、戦争に負けたから、力関係によって侵略戦争だ、と決めつけられただけなのです。
  2. 大東亜共栄圏構想も、欧米列強に侵略、支配されている東亜を開放し、その中で経済力のある日本がリーダーシップを取って、共に栄えていこうと言う考えですから、基本的に何ら間違ってはおりません。

  3. 現在の侵略国家は、中国です、漢民族が少数民族を虐げ、その犠牲の上に成り立っているのです、栄華を誇っているのは、臨海州の漢民族で共産党の革命貴族だけです
  4. 内陸部の貧困な地域では、未だに地面に穴を掘り住んでいるのです、かって某大臣が中国では”穴を掘って住んでいる”と、発言したら、”ヤオトン”と言う、”立派な建築物だ”等と反論していました。
  5. そんな事は無い、不断に続いてきた戦争による混乱、都市の建設に使う木材の伐採、煉瓦製造用の燃料の樹木の乱伐などで、土地の荒廃が進んだ結果、やむなくそのような住居の形態が出来ただけで、喜んで住んでいるわけはない、内陸部と臨海部の単なる富の偏在の象徴だ、そんな事で”能力に応じて働き、必要に応じて与えられる”共産主義といえるのか!。

  6. 抑圧されている少数民族も、漢民族からの独立を求め、現に各地で独立闘争がおこしています、その方法が破壊活動だとしても、それ以外に方法が無いのだから、一概に非難はできないのです。
  7. 搾取する者と、搾取される者との関係は、共産党はよく知っているはずです、暴力によって相手を打ち倒す関係です。

    陳腐な憲法第9条、非現実的な戦争放棄

  1. かって毛沢東は、核で9割が死んでも、中国は1億人が生き残ると言っていました(毛沢東語録だったか?)、狂っているのか!と思いました。
  2. 人の命を軽視する最たる妄言です、政治的な理由だろうが、こんな奴の肖像を掲げて未だに有難がっている。
  3. ”戦争放棄”などと言う非現実的な事は、相手国が割安に戦い、コストのかからない、お手軽な勝利を手にするだけなのです。
  4. パキスタンの首相だか、大統領だかが、”核実験後”の会見で、
    日本も核を持っておれば、広島、長崎は無かった!
    と発言しました、何故だか?批判があり、後で取り消したそうですが、端的に的を射ています!、歴史の教訓を生かしています。

  5. 核に関してだけ言えば、ウクライナも核を放棄していなければ、こんなに簡単にロシアに攻撃される事は無かったのです、アメリカの核使用についても、我が国としては、持って他山の石、とすべきなのです。
  6. 但し、プーチン大統領が一方的に悪いか?、と言えば、必ずしもそうは言えません、遠因はヤヌコビッチ大統領を追い出した「マイダン革命」にあるのです、 アメリカCIAの後押しで起きた、この革命、実際はクーデターですが、プーチン大統領はこのクーデターに脅威を感じた、と言われています。必ずしもゼレンスキー善人、プーチン悪人とも言えないのです。
  7. アメリカがが絡んでいる、と言う事で言えば、アメリカが中国国民党を支援していたと言う、かっての志那事変とそっくりです。
  8. 志那事変に続き、アメリカの策略によって、大東亜戦争に日本が引き込まれたと言う構図です。
  9. 歴史をよく見れば、戦争とは形を変えた政治の継続であり、平和とは形を変えた戦争の継続だ、と言う事が良く分かります。
  10. 勝って兜の尾を占める、と言うのが有ります、負けたのなら尚更です。
  11. 将軍さんが、飢える国民を、ほったらかして、核武装に血道を上げるのは、自分を守るためだけですから、私が言う核武装とは、意味合いは全く違います。

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