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那須大八郎と鶴富姫伝説
壇ノ浦の戦い(今から約800年程前)で、平家は全滅、生きながらえた者は全国各地へと散ったそうです、ある一行は、けわしい山を越え、肥後阿蘇路を経て、 山深いここ、椎葉へとたどり着きました。
いつしか、この事は敵方(源氏)に知れ、源 頼朝の、追討の命令を受けたのは「扇の的射」で有名な那須与一でしたが、与一はこのとき病に伏せており、 その代わりに、弟の、那須大八郎宗久(当時22)が、平家の落人を追って、この椎葉を目指したのでした。
ようやく椎葉にたどりついた那須大八郎が、そこで目にした村人の様子は、ひっそりと農耕に従事しながら、暮らす平家一門の姿でした。
那須大八郎は、追討を断念、「椎葉の平家の残党は、一人残らず討ち果たしました」、と幕府に偽りの報告をしたのです。
その後、那須大八郎は、平家の落人達と共に生活するようになり、やがて、平家の鶴富姫(清盛の末孫)と出会いました。
二人は源氏と平家で、かってのかたき同士でしたが、大八郎は愛する鶴富姫と生涯をともにすることを決め、椎葉村に永住することを決意します。
しかし、ある日、幕府から帰還の命令が来ましたが、この時、すでに鶴富姫には大八郎の子がやどっておりました。
大八郎は、命令に従い、戻らねばなりません。
椎葉の地を離れる日、大八郎は鶴富姫に「生まれてくる子が男なら私の故郷へ、女の子ならこの地で育てるがよい」と言い残し、刀(あまくにの太刀)と系図を渡し、椎葉村を後にしました、生まれた子は女の子でした。
母となった鶴富姫は、その子を大切に育て、その子が成長すると、婿を取りました。そして、大八郎の「那須」の姓を名乗らせたと言います。
この大八郎と鶴富姫の住まいが、那須家住宅(鶴富屋敷)、であったと伝えられています。
伝説では、無く事実で有ってほしい、と思いますね。