青 の 洞 門、
大分県、中津市、
青の洞門について
青の洞門(あおのどうもん)は、大分県中津市本耶馬渓町樋田にある洞門(隧道、トンネル)です。
全長は約342mで、その内の約144mがトンネルです。
洞門は諸国を遍歴していた禅海和尚と言うお坊さんが、断崖絶壁の道を鎖に掴まり通行していた人が転落して命を落とすのを見て、托鉢勧進をして資金を集め、享保20年(1735)に、ノミと槌で掘り始め約30年かけ1763年(宝暦13年)に開通したそうです。
完成した当時は「樋田のくりぬき」と呼ばれていたが、江戸時代末期から大正時代にかけて、「樋田のトンネル」や「青の洞門」と呼ばれるようになったそうです。
「青の洞門」の完成後には、通行人から人は 4文、牛馬は 8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本で最も古い有料道路と言う事になるそうです。
歌川広重の・六十余州名所図会
歌川広重の・
六十余州名所図会
1854年(安政元年)から1856年(安政3年)にかけて制作された歌川広重の『六十余州名所図会』には、「豊前 羅漢寺 下道」と題し、この洞門が豊前国の名所として描かれています。
明治時代に、陸軍が演習場への輸送路を整備するために大改修が行ない、車両が通過できるよう拡幅されましたが、工事の結果、完成当初の原型はかなり失われたそうですが、洞門の一部には今でも手掘りのノミの跡を見ることが出来ます。
この洞門についてはその後、1923年(大正12年)の『尋常小学国語読本 巻十二』でも教材として取り上げられたため、青の洞門は広く世間に知られるようになりました。
私も小学生の時に教科書で習いました、九州で知っている所と言えば、ここの「青の洞門」と「阿蘇山」ぐらいでした。
子供の時分から「青の洞門」は、一度は見てみたいと思っていましたが、実際に見た感じは意外に、こじんまりとしているなと思いました。
何かもっと山の中のような所を想像していました。
有名なトンネルなのに観光地然としていないのも意外でした、看板がなければ見落とすような所でしたが、これが本当は良いのかも知れません。
禅海和尚さんも、ソフトクリームや「青の洞門まんじゅう」等を売っていたりしたら多分びっくりするでしょう。
禅海和尚が掘った「青の洞門」は、今でも徒歩だけで通行が出来ます。
下の写真をクリックして下さい。
青洞門入口
禅海和尚
頌徳碑
青洞門入口
青洞門
洞門の明かり取りの窓
禅海和尚と地蔵菩薩
禅海和尚と地蔵菩薩
禅海和尚像
地蔵菩薩像
青の洞門の本
私の嫁さんの、実家にあった本です。
青の洞門を、題材にした、今で言うコミック本。昭和28年発行です。
この様な教育的配慮の本が、本当に少なくなってきました。
本屋の店頭に並ぶ、エログロの少女雑誌、あんな物でも、言論出版の自由だ、等と言っているのです。
思想言論の自由だ、等と言って裁判沙汰になっているのが、何時もこの手の本です。
国家権力による検閲は絶対必要です。
青の洞門の本
青の洞門の本
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背景は、「青の洞門」です。
入口の右側に白い看板が見えますが、そこから右の方に洞門が有ります、トンネルは一方通行になっています。