5年の歳月を経て、偶然、ある人と再会しました

  1. 高校1年の、昭和36年8月の夏休み中の一週間、学校の行事で高知県境に近い、徳島県かいふ郡海部町と言う所へ行った事がありましたが、当時、海部町が何処に有るのか知りませんでした。
  2. 行事の世話役は、県の嘱託をされていたTさんと言う人で、Tさんの家の南側、300メートルぐらいの所に、私たちのバラック建ての宿舎が有りました。

  3. 宿舎では、40歳位の女の人が、私たちの食事の世話をしてくれていました。
  4. ある時、同級生が、”女の子が 来とる”、と言って、みんなが部屋の窓から外を見ていました。
  5. みんなが見ていた所は、狭い窓だったので、私は見る事が出来ませんでした。
  6. その後、私が窓から見た時は、白い服装の横顔と後ろ姿で、それから帰ってしまったのか、もう居ませんでした。

  1. その時から3年後の、昭和39年3月に卒業し、徳島県に関係の有る仕事につきました。

  2. さらに、就職して2年後の4月に、職場の移動で偶然にも、海部町へ転勤する事になりました。
  3. 当時は終点の牟岐駅まで、徳島市から汽車で1時間30分ぐらい、そこからバスで更に30分ぐらいの所でした。
  4. 現在は高知に続く、国道55号も改良され、阿南市からは、一部、高速道路も整備され、40分もあれば着きます。

  5. 海部町には、5年前に来た事があった訳ですが、転勤して来た時は、全く気が付きませんでした。

  1. 転勤して、間もなくの5月21日に、”つづら”さん、と言う人が、或る許可申請をされていた件について調査に行きました。 聞き取りなどの、調査終了後、勧められるままに、昼食をご馳走になった。

  2. その時、同じ部屋で洗濯物をたたんでいた、20歳ぐらいの女の人が居ました。
  3. その後、お盆の下にお礼を置き帰りました。
  4. その後、洗濯物をたたんでいた人が、お礼のつもりでお盆の下に置いた物を持って、
  5. ”つづら”さんが、これは要りません”、 と言っています、と返しに来ました。
  6. ですが、私もそのまま、受け取るわけにはいきませんので、その人と少しやり取りがありましたが、強いて押し返す事は出来ませんでした。
  7. その人が、”弥生”、と言う名前の人だったのです。
  8. ”つづら”さんは、弥生さんの伯母さんで、弥生さんは当時、地元の郵便局で電話交換手をしていました。 私が調査に行った時は、昼休みなので偶々来ていたようです。
  9. (これは、全て、後日知った事です)

  1. 私は、男子校の出身で、就職した職場も、1部の部署を除き、男ばかりでした。
  2. 又、小学生の時からしていたのが柔道です、趣味も囲碁と将棋です、柔道などは、普通の女の人が、関心を持つような競技ではありませんし、 囲碁や将棋などは問題外ですから、女性と知り合う機会も有りませんでした。

  3. ですが、その後、弥生さんとは、何かと話をする機会が有りました。
  4. 私は、”弥生さん”を見た時から、”誰か”に、似ている、と思っていましたが、誰だったか長いこと判りませんでしたが、最近古い写真が出てきて、誰であったか分かりました。

  1. それから、2カ月後の7月の初め頃に、弥生さんが、”お父さんのカメラで、使っていない物が有る”、と言うので一緒にそれを、取りに行きました。
  2. 行った先は、海部町大井と言う所で海部町の奥の方で、私が住んでいた所から4キロぐらい西のほうでした。
  3. 行った所の、付近の風景を見ていて、何か気になるバラック建ての建物を見つけました、近くに大きな川も流れていました。
  4. 私は、”この大きな川” や、 ”ここの景色”や 、”バラックの建物” にも、なにか見覚えがある事に、気が付きました。
  5. そこで、私は、弥生さんに、
  6. "5年ほど前に、ここへ来た覚えがある、この川にも見覚えがある、"
    と話しました、すると、弥生さんは、
    "時々、学校の生徒さんが来ていた、"
    "お母さんが、世話をしていたので、たまに、ここで手伝った事がある、"

    と、言うではありませんか、それで、やっと気が付きました、ここの場所を思い出したのです、、
  7. 5年ぶりだったのです、宿舎に女の子が来ていた事は、良く覚えていましたが、そこの場所が、何処だったのかが分からなかったのです。

  8. その場所が弥生さんのお話から、今、一緒に来ている、海部町大井と言う所で、食事の世話をしてくれていた伯母さんが、弥生さんのお母さんで、あの時、来ていた女の子が、今、目の前にいる、弥生さんだったとは本当に驚きました。
  9. 余りの偶然に、最初は信じられませんでした。
  10. 当時、数人の同級生が見ていた窓は、狭い窓だったので、私が見たのは、横顔と後ろ姿だったのです。
    その為、その時の女の子が、本人から話を聞くまで、弥生さんだったとは、今の今まで判らなかったのです。
  11. 目の前の弥生さんを見ていて、改めて懐かしさが込み上げてきました。
  12. そこで私が、
    "それなら、5年前の8月に、ここで 弥生さん を見た事が有る"、
    と言うと、弥生さんも驚いていました。

  1. その後、仕事が終わった後で用事が無い時は、おばあさんと暮らしていた、弥生さんの所に時々出向きました。一緒に近くの海の桟橋から、アジ釣りなどもしました。
  2. その後は、休みの日には、高知県室戸岬や、安芸郡東洋町の白浜海水浴場へも行きました。
  3. そんなこんなで、弥生さんはやがて私にとって、誰にも代え難い人になっていきました。

  4. その後、翌年の2月21日に、結婚をしました。
  5. 子供は3人居ます。長女は事業を、長男は会社員、次女は医療関係の仕事をしています。

  1. 料理上手の嫁さんは、毎年、年末になると、あちらこちらと出かけ、料理の材料を集め、お正月のおせちはいつも自分で作っていました。
  2. 知り合いからも頼まれ、多い時には10人前ほど作っていました。
  3. 伊勢海老、アワビ、サザエ、ブリは知り合いの、海部郡由岐町阿部(あぶと読みます)の漁師さんにお願いしていました、私も下ごしらえの手伝いをしていました。

海部町の関係先の略図です

    @番は、5年前に1週間過ごし、弥生さんだった人を見かけた海部町大井の、宿舎が有った所です。
    A番は、5年後、偶然、転勤して来た海部町です、ここで弥生さんと再会しました。
    B番は、時々行った、弥生さんが、お婆さんと暮らしていた家があった所です。
     近くの那佐湾の桟橋から、良くアジ釣りなどをしました。
    C番は、一緒に海水浴に行った、隣の高知県安芸郡東洋町の、白浜海水浴場です。
     今では、東洋町生見(いくみと読みます)と共に、全国有数のサーフィンの名所になっています。
     遠浅で絶好の海水浴場です。

  1. 矢印の辺りに宿舎がありました。
    弥生さんとカメラを取りに行った時に、この付近の風景を見て、宿舎であった建物を見つけ、弥生さんのお話を聞き、5年前に来た事が有った場所がここだった事が分かったのです、余りの偶然に驚きました。

  2. 現在は、その時から50年以上、経過しています、
  3. 今では、当時の建物は取り壊され、別の、個人の建物が建っていました。
  4. ですが田舎の、のどかな風景には、なんの変わりも、ありませんでした。

アジ釣りをした桟橋です。


桟橋の今の様子です。
  1. 弥生さんと釣りをした桟橋は、今では老朽化し立ち入り禁止になっています。
  2. その後、100メートルほど西側に、新しい船着き場ができています、今では高知方面からも、親子連れで太刀魚やアオリイカを釣りに来ています。 今では、いい釣り場になっています。

新しい船着き場から、元の桟橋の様子です。
  1. 弥生さんの、お話ではチリ地震の時に、この桟橋を津波が越えたそうですが、事前にわかっていたため被害は無かったそうです。

  2. チリ地震とは、
  3. 1960年5月23日、(日本時間)4時11分、南米の、チリ共和国で、マグニチュード9.5と言う、世界最大規模の、地震が発生し、太平洋を津波が渡って来た地震の事です。


再会してから、現在まで

真ん中の人です、修学旅行で九州へ行ったそうです。 
私が宿舎で見かけたのが8月で、その後の10月頃の写真です。
5年後の、昭和41年5月21日に再会した頃です、再会と言っても、当時見たのは横顔だけで、勿論名前も知りませんでした。 これでは再会とまでは言えません。

左は伯母さん、右が弥生さん、伯母さんが申請をしていた件について調査をした時に、私にとっては、偶然再会したのです。
誘って、室戸岬へ一緒に行きました。
弥生さんは、誰かに、似ている、と思っていました、ですが、長い間、誰だったか、分かりませんでした。

これは室戸岬です、四国霊場、24番最御崎寺(ほつみさきじ)が有ります、空海が修行し悟りを啓いた、と言われている所です。
高知東洋町、白浜海水浴場の休憩所です、後ろは大きな岩山です、キャンプやサーフィンで、京阪神からも多くの人が来ています、今では施設も完備しています。

写真の座っていた所は休憩所でしたが、今ではホテルの駐車場になっています。現在はうしろの岩山には、水上安全を祈願するお宮があり、お参りに行く階段が付いています。 右の方は、海の駅東洋町と言う施設になっています。
海の駅 東洋町は、キャンプ場、遠浅の白浜海水浴場で、シャワー室と大きな駐車場があり、阿佐海岸鉄道の、DMV(デュアル・モード・ビークル)の駐車場にもなっています。


牟岐町の、”松のや”、と言う旅館で執り行いました。
弥生さんの”お父さん”は、高知県奈半利市出身で、弥生さんは高知で言うところの、いわゆる、”はちきん”です、おまけに 「 イノシシ 」 としの生まれです。その為か、絶対に猪肉は食べません。
ですが、私は狩猟をする人の知り合いが多く、再三、シカ、イノシシの肉を戴きましたが、家では食べた事は有りません。
肉は何時も弥生さんが、知り合いにあげていた様です。

長女です。
長男です。横にいるのは長女です。

長女が、幼稚園に入園しました、写真は入園式の後に海部町の実家に帰った時です。
弥生さんは、昭和45年6月に、近くの川原の河川敷で運転の練習をして、直接、徳島県免許試験場へ行き免許を取りました、 教習所は行っておりません。
次女です、弥生さんに似て、髪の毛が濃かった、生まれて直ぐに、産科医の先生が、髪の毛を切らなければ、いけないほどでした。

弥生さんの50歳の誕生日、子供たちがケーキを買ってきて、お祝いをした。
弥生さんの誕生日、5月4日です、子供たちが集まってお祝いをした。長男、次女、弥生さん、長女です。

平成25年5月、膝関節症の為、手術をし、リハビリも入れて3か月間入院しました、足が良くなったので、喜んでいました。後ろにいるのは次女です。
運動がてら、剣山で山登り、ふざけて足を出している。手術の後も、ほとんど、分からなくなっています。

姫路城が、新しくなったので見に行った。着ているコートは、柿渋ぞめです、弥生さんのお気に入りです。
家族で、香川県琴平町のコンピラ神社に初詣に行きました。
長男は写真を撮っています。
長女、私、弥生さん、次女です。

知人の女性3人と、女性ばかりで、九州へ行きました。これは阿蘇山の、草千里を、運転中です。
湯布院、湯の坪通り、右は知人の女性です。

湯布院、民芸村、これは、こふ、で(ふるい、ぬの、と書きます)、筒がき、とも言います、弥生さんは、これに目がありません、右は知人の女性です。
阿蘇、草千里で馬にも乗った。この時は夏、馬に乗ってみる?、と聞くと、乗る乗る、と言って、草千里を一周してきました。

早春の湯布院です。
湯布院の夏は緑が濃く、標高が有るためか、意外と涼しく、過ごしやすいです。           

湯布院、秋の錦鱗湖半です、敷地内に、鍵屋、と言うのがあります、おはぎが名物です、湯布院は秋が早く、冷え込みもきついので、紅葉が綺麗です。
冬の湯布院の金鱗湖です、湖底から温泉が湧いているため、幻想的な霧が出ます。

舞鶴から小樽まで、新日本海フェリーのハマナスで、北海道へ行きました、小樽まで22時間かかりました。
小樽から富良野、層雲峡、礼文島と行き、その後、網走、知床、十勝、札幌、定山渓と行きました。
弥生さんが旅行雑誌で見つけていた、知床岬斜里町の岩尾別温泉の男女混浴の三段の湯と呼ばれる露天風呂です、可なりへき地で冬季は休業しています。
左の”岩尾別温泉”をクリックすれば、ビデオが出ます。

長崎、軍艦島、上陸が出来ると言うので10年ぶりに行きました。
もう、50年を超えました、香川県引田町の雛祭りです。70と72歳です。

子供に連れられ、東京見物、スカイツリーを見に行った、私はこの時、初めて飛行機に乗った、飛行機に乗った事が無い等と言うと、ほとんどの人が”嘘おっ”と言いますが、本当の話です!!。飛行機に乗る機会など無かったのです。
皇居前の、広場へも行きました、皇居前は高校の、修学旅行以来ですから、50数年ぶりでした、その後、天皇陛下から私に叙勲がありました。

日本国天皇は、 私に、OOOOを授与する、
 皇居に於いて 璽をおさせる、
 内閣総理大臣、 阿部晋三、と、表示されていました。
この後、皇居で天皇陛下に、拝謁の予定でしたが、弥生さんと相談の結果こちらはご遠慮申し上げました。 子供たちからは、そんな機会は、滅多にないのに、と言われました。行けば良かった、と、後で思った。

果たして、ここまで読んでくれる人がいるのかな?と思いながら書いてきました。

子供たちには、お母さんとは海部で知り合った、とだけ言ってありました。
宿舎での出会いについては、弥生さんから、聞いた事があったのか、一部分、知っていたようです。
”へー、そんな事があったん”、と言っていました、面白がっていました。

ここまで読まれた方には、申し訳ないのですが、その後、私にとって、色んなことが有りました。 そのうちに、また、ここでお話したいと思います。
覚えておいて頂けるのなら、また、いつの日か、ご覧くださると有り難いです。

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