子供から預かった猫、名前はココ


  1. 事情があって、子供の友人から、猫を4ヶ月間、預かる事になりました。
  2. 前に、平成11年10月まで、約、19年間ネコを飼った事が有ったので、どうと言う事は無い、と思っていました。
  3. 平成29年(2017年)3月16日、午後6時過ぎ、猫用のゲージに入って我が家に来ました。
    猫の世話をするのは、実に19年振りでした。
  4. 預かった猫は、オスで、約、15歳、体重6.5キログラム、名前は、ココ、と言うそうだ。
    ゲージの上から覗くと、かなり大きい、ゲージから出して持ち上げると、かなり重い、これって本当に猫か、と思った、
  5. 子供らが帰ってしまうと、私を見ると、ウーッと唸り、家具の物陰や机の下に入って出てこない、水も飲まない、餌も食べない、そばに寄ると歯をむいて威嚇する。
  6. 子供に電話をして「このネコはどんなネコだ??」、と聞くと、

  7. 凶暴そうに見えるけど、びびんちょ(臆病な事)だから、2〜3日は、何も食べないけど、1週間ぐらいしたら慣れる、と言う返事。
  8. それでも、どう言う物か、私の嫁さんには良くなれて、「右の写真」の通りすり寄って、こんな格好でも昼寝をするようになりました、元の飼い主がたまに来ても嫁さんの方に寄っていく始末。
  9. その後、事情がのびて更に預かる事に〜〜。
  10. それから5か月後の、平成29年(2017年)8月16日の早朝、頭にケガをし、傷が開いているのに気づき、獣医さんに連れて行きました、薬をくれたがどうしても飲まないし、傷も気になって午後、洗濯用の袋に入れ、傷を縫合をして下さい、と再度連れて行きました。
  11. 3針縫合して、帰宅したが、袋から出すと、縫合した糸を全部切っていた。
  12. 再度、電話をして、獣医さんの所に行き、縫合のやり直し、今度は5針縫合をして、首に保護用の首輪(エリザベスと言うそうです)を、取り付けました、その後は意外とおとなしく、毎日痛み止めと抗生剤の注射に通いました。
  13. 9月8日(金)、抜糸をして、治療は終了しました、23日間、毎日、通院した、治療費は全部で、幾ら掛かったか分からない!、嫁さんは、そんな事、どうでもええでー、との一言だった。

猫じゃらし、ビデオです

6か月後、元の飼い主の所に帰って行きました!


  1. 平成29年9月24日、午後4時頃、元の飼い主と子供(娘)が、ココを迎えに来た、おとなしくゲージに入り帰って行きました。
  2. 6ヶ月と10日、我が家にいました、嫁さんは文字通り 、ネコ可愛がり、いたずらをした時はいつも、私に、早く、おこりーと言います。
  3. しつけは、何時も私ですから、私にはそれほど懐かずじまいでした。

  4. 嫁さんは、夜になったら、寂しいのか、しくしく、涙をためて、泣いていた!!!。
  5. あれ程、懐いていたので、急に居なくなると、やはり寂しくなります、特に嫁さんは猫好きです。
  6. 嫁さんは、
    ”ココは、どうしているか?、電話をして聞いてみて”
    と私に言います、
  7. 電話をして、様子を聞くと、帰った先では、餌も食べず、机の下に入ったきり出てこないそうだ!!。

結局、嫁さんの希望で手元に引き取る事になりました。

  1. そんな、こんなで結局猫好きの嫁さんの希望で、引き続き飼う事にした、今度は、私の方から翌日の夜連れに行った。
  2. ココは、我が家へ帰ると、嬉しいのか、1階から2階まで走り回っていました。

  3. 我が家に来てから、3年になった、体重を量ると8キロだった、見る人は皆、大きな猫やな、と言います。
  4. 8キロはやはり重すぎる、どうにかしてダイエットをさせないと、と思っています。
  5. 今では、私が、名前を呼ぶと、そばに寄ってくるようになりました、凶暴そうに見えたのは、間違いで、臆病な猫だったようです。臆病だから、怖がり、威嚇するのです。
  6. 物を言う事が出来ない動物は、ただ、ただ、可愛がってやるのが、一番です。
  7. 最初は、預かったのですが、今では、私たちの子供と同じです、最後まで責任を持って、一緒に居るつもりです。

その後、残念ながら、私のところから、旅立って行きました。

  1. 私の所に来て5年が過ぎました、20歳になりました。

  2. ところが、令和4年(2022年)4月12日の、午後6時ごろでした、私のほうを向いて、大きく口を開け欠伸をしました、その時右下の歯茎に小豆大の小さな物を見つけました、何かと思って、嫌がるのを無理に口をあけさせ調べましたが、良く分かりませんでした。
  3. 翌日、獣医医院の開院時間に合わせて、連れて行きました、診察の結果、良くない物のようだ、との診断、1週間様子を見るとのことだった。
  4. 6日目には、かなり大きくなったので、再度連れて行った、十分対応出来ないなので、そこで徳島市内の、他の病院を4箇所教えてもらい、帰宅後その内の、林獣医師医院、と言う獣医さんのところに電話して、直ぐ受診しました、そこで設備も整い技術のある、隣の香川県内の「四国動物医療センター」と言う所を紹介してもらいました、そこは完全予約診療との事だったので、直ぐ電話をして予約をし、翌日、午前9時に受診しました。
  5. 組織検査、血液検査、CTなどを撮り検査結果を待ちました。

  6. 検査結果はリンパ腫との事でしたが、腎機能が低下しているので、このまま手術をするのはリスクが大きい、また年齢が20歳と高齢なため、このままにしておくのも、ひとつの方法です、との提案がありましたが、相談の結果、入院させ腎機能を回復させ、結果がよければ手術をすると言う事にしました。
  7. 腎機能が少し良くなったので、5月6日に手術をしました。
  8. その後、元気になっていましたが、検査の結果、転移が見つかり、そう長くは無いとの事でした、抗がん剤は効くとのことでしたが、年齢的に無理との診断でした。
  9. その後は3日おきぐらいに「四国動物医療センター」に通院して胸水を抜くなどの治療と、自宅でホルモン剤の注射をしながら世話をしていました。

  1. 令和4年(2022年)6月10日の早朝、ぐったりしているのを見つけ、電話をして「四国動物医療センター」へ連れて行きました。
  2. 残念ながら、午前10時43分、私の腕の中で、旅立っていきました。
    20歳、私のところに来て5年、長いような、短いような気がしますが、最初は、私になつかず、困りましたが、2年ほど前からは、私が外出の用意を始めると、先に玄関で待っている様になりました、猫とは思えないような猫でした。
  3. ここまでくると、飼い猫などでは有りません、家族と同じ、子供も同じです。

  1. 私と嫁さんが預かった時は15歳でした、それから、5年間、一緒に過ごしました、短いような、長いような年月でした。
  2. 嫁さんには、直ぐ懐きましたが、私を見ると、ウーッと唸るは、歯をむいて威嚇するはで、困りましたが、根は臆病な猫だったようです。

  3. このまま、ゆっくりと、年を取り、長生きしてくれたら良い、と思っていましたが、このような結果になってしまい残念です。
  4. 元々は、預かった猫でしたから、病気や怪我を、ささないように、気をつけていたのに残念です。
  5. 今となっては、安らかに眠ってくれ、と祈るばかりです、可愛い猫でした。
  6. 私も満77歳です、もう動物を飼うことは出来ません、寂しい限りです。

19年前の、平成10年10月に悲しい別れがありました

  1. 平成10年10月まで、飼っていたネコは、シャム猫で名前は金太と言いました(右側の写真です)、19歳6ヶ月でした、死んだ時は、嫁さんが、抱いていたそうです。
  2. 元気をなくしたときは、半年の間、女の子供二人が、栄養剤の、点滴をしていました。

  3. シャム猫の、金太は嫁さんには、良く懐き、嫁さんが仕事から帰ると、車の音を覚えていたのか、外まで迎えに行っておりました。

  4. 大きな月が、出ていた夜だったそうです、抱いて玄関の外に連れて行ったところ、キョロ キョロと辺りを見回している内に、死んでしまったそうです。
    私は単身赴任で留守でした。
  5. 小さな猫だったので、抱いている間に、体が冷えてきたので、毛布で包んでやったそうです。
  6. 嫁さんは、しばらくの間は、泣いてばかりでした。
  7. 嫁さんは最後の様子が、長らく、忘れる事が出来なかったようです。
  8. 遺骨は、今も我が家にあります。

  9. その後、嫁さんは、猫は勿論、動物は一切飼おうとはしませんでしたが、18年ぶりに子供からの依頼で、子供の友人から先にお話しした、15歳の猫のココ を、預かるかる事になったのです。
    ですが、それも、もう居ません。

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平成10年