Indian historical village
2016-05-13 ・サウスダコタ州・De Smet・3日目・Indian historical village
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Dakota discovery museumの観光後にまだ時間があまったので、
次のターゲットであるIndian historical villageへ移動です。
車で5分ほどの近距離です。
- Indianは狩猟民族で、季節と共に移動するというイメージでしたが、この施設が研究している民族は定住するIndianだったそうです。
Indianもたくさんの種族毎に独自のライフスタイルがあるというわけ。
湖のそばで、農耕と狩猟で食料を手にしていたそうです。
場所的にも、定住に向いている要素があったんでしょう。Villageの周囲は今も自然が豊かでした。
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次のターゲットであるIndian historical villageへ移動です。
Villageというか博物館の入り口です。
この施設は観光というよりも研究施設でした。
博物館あるあるの珍展示もありましたがより研究色が強いです。入場料6$。
- 訪問時にちょうどツアーガイドが始まったばかりで、合流させて頂きました。
- 最初にどこかの大学の偉い先生の講演をビデオで20分ぐらい鑑賞。
ビデオが終了して、ガイドさんについて館内を見て回ります。
考古学について熱く語っています。
バイソンの完全骨格。背中のコブが気になっていたのですが、脊椎が面白い形に進化していますね。
これは、インディアンの家を再現したもの。
大草原で木が少ないので、木は家の中心となる柱にのみ利用して、それ以外は土や泥で塗り固めています。
この時点で、ここの先住民が定住していたということがわかりますね。
本来の Indelian は折りたたみ式のテントで、移住していましたから。
- 家族の中心人物はおじいさんでは無く、『おばあさん』だったそう。
おじいさんは常に狩りに行っていて不在なので、生きるためのスキルは全ておばあさんから娘、孫へ伝えられました。女系家族です。
- バイソンは肉、毛皮、骨、骨髄に至る全てを無駄にすることなく利用しました。
骨とどんどんボイルしてて、、、
ナッツとこねこねして、、、
- ペミカンを作ったり。栄養満点ですね。骨を農耕器具に改良したり、非常に有益な動物だったらしい。
・これは集落の模型なのですが、ただのミニチュアではありません。
・バイソンの侵入を防ぐには柵が必要なのですが、柵の原料になる木が少ないですね。
・なので、背後を川にして、柵に必要な木を節約していたみたいです。
・そして北風が家に入ってこないように、家の入り口は全て南向きに作られていました。
・なるほどね〜。快適な住居にするにはどうすれば良いのか、よく考えています。
・農耕器具一つとっても、周囲に材料は骨、石、木、草しかないので、それらで全て作ったみたい。
- 一度、この施設を出て、実際に発掘をしている場所に移動です。
- 写真左のベージュの建物が発掘現場です。ただの、芝生では無く、この場所に紀元1000年頃の集落があったんですね。
- 発掘現場です。両国国技館になんとなく似ていますね。
地面が四角くくぼんでいるのがわかるかな?住居跡です。
- 発掘現場100%です。
これは、ゴミでバイソンの骨です。
- ここのIndianのルーツは紀元後1000年でそれほど古く無いんですね。
これは、石を鋭利に打ち出したもので、ナイフやメスとして傷の治療に使っていたものです。すんごい切れ味が良さそうです。
これは、毛皮で作った船です。バランスとるのが難しそう。。。
珍展示です。犬も農耕に駆り出していたらしく、犬用の機器。
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発掘の作業は忍耐です。
大きな出土品に目が行きがちですが、小さな出土品にも大きな価値があるらしいです。
小さな出土品とは種とか道具の一部で、そういった小さな出土品から『想像』する、これが一番重要な事だそう。(ガイドのおじさん談)説得力があるな。考えるということが大事なわけで、だから考古学なのか。。。
- どうでもいいことですが小さな頃、天文学者になりたかったのですが、実は考古学者にもなりたかったのです。
かっこいいでしょう?
ツアーの女子に撮影してもらいました。
ツアーを終えてHuron,SDまで戻ります。
道がまっすぐです。運転してて気持ち良いですね。
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