Stairs to the world
キューバ Santa Clara編・ゲバラ霊廟
エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ
- エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(1928年6月14日 - 1967年10月9日)は、アルゼンチン生まれの政治家、革命家で、キューバのゲリラ指導者。
- 「チェ・ゲバラ」の呼び名で知られるが、「チェ」は主にアルゼンチンやウルグアイ、パラグアイで使われているスペイン語の方言で「やぁ」「おい」「お前(親しみを込めた)」「ダチ」といった砕けた呼び掛けの言葉で、ゲバラが初対面の相手にしばしば「チェ。エルネスト・ゲバラだ」と挨拶していた事から、キューバ人達が「チェ」の表現を面白がり付けたあだ名です。
- ラテンアメリカではキューバ革命以降「チェ」もしくは「エル・チェ」といえば彼の事を指します。
2016-11-07・キューバ Santa Clara編・ゲバラ霊廟にお墓まいりに行ってきました。
- サンタクララの一番大きな観光地である、ゲバラ霊廟に行ってきました。
中央公園から徒歩30-40分という所でしょうか。ハバナ行きの移動手段を模索してて、出遅れて11時過ぎに到着です。
場所はViazulのバスターミナルからちょっと歩きますが、へなちょこ体力の私でも徒徒歩でアクセス可能でした。
霊廟周辺は整備が行き届いてて、お墓というより記念公園レベル。
施設内は広いので、間違えないように看板で確認しつつ進みます。強烈な日差しの下で、遠回りなんぞはしたく無い。
この霊廟はゲバラだけでなく、ボリビア時代に亡くなった他の兵士、革命闘争中に命を落とした他の兵士も眠っています。
霊廟も大きな霊廟と小さな霊廟があって、大きな方には聖火のような炎が灯されていました。
- 大きな霊廟はゲバラ像の背中側にあります。このゲバラ像の足元が小さな霊廟の入り口になっています。
- 正面の巨大な壁画とゲバラ像。天気が良いので、写真がサマになります。
観光客が多くてどうやっても写り込んでしまいます。
HASTA LA VICTORIA SIEMPRE.
直訳だと(常に勝利まで)→常に勝利に向かって、とかって訳した方がかっこいいですね。彼の残した言葉です。
- さて、小さな霊廟に入るには荷物を駐車場近くのクロークに預けなくてはなりません。
小さなバックと水はオッケーだったような気がします。預け賃は無料でした。
そのクロークの向かいに置いてあった、ゲリラ戦展開時の模型。
そして、長蛇の列。ここは観光ツアーの目玉なので、やはり10時までには到着したい所です。日本人も多く見かけました。
- 霊廟の中はカメラ撮影は厳禁です。今まで、各国のお墓をいろいろ撮影してきましたが、この霊廟も似た様な感じでした。
集合住宅風で、壁に小さく区画分けされって。革命兵士の遺骨が納められている様です。霊廟の中はエアコンが効いてました。
- この箱はゲバラ邸に展示してあったもの。この小さな箱に遺骨がおさめられてボリビアから帰ってきたんだって。
最終的には約20人程度の兵士の遺骨がキューバに戻ってきたらしい。
- 霊廟入り口に向かって右はゲバラの博物館になっていました。
生い立ちから少年時代、学生時代、キューバ革命時代、コンゴ時代、ボリビア時代、、、各時代毎にゲバラにまつわるエピソードが遺品とともに紹介されていました。
誰も写真を撮っていなかったので私も撮りそびれてしまいました。博物館も写真撮影禁止だったのかもしれません。
- ゲバラは医師免許を持ってて、キャンプでは傷ついた地元の人や兵士達に医術をを施していたそうです。
↑これはハバナにある革命博物館に展示されていた彼の手術道具。
革命家としてのゲバラより、医者としてのゲバラの方が好きです。
武闘家のトキより、医者としてのトキが好きなのと似たようなものです。
Hyper touristicなのですが、何となく厳かな気持ちでセントロまで戻りました。
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